Saturday 17 December 2016

はいどらんじあ(イギリスへ渡った紫陽花たちの話)


6月に生まれたからか、私は紫陽花が好きだ。まだ幼稚園生だった頃、先生が毎月切り絵で教室をデコレーションしてくれるのが楽しみだった。4月は満開の桜、5月は鯉のぼり、6月は梅雨、7月は海にスイカ、8月は夏休みで、9月はお月見、10月は運動会、11月は紅葉、12月はクリスマス、1月はお正月、2月は雪、3月はイースター。どう考えたって6月がいちばんはずれ。カレンダーのデザインも6月はいつも雨に傘、ときどきカエルとカタツムリ。私は本当に不服だった。いちばん羨ましかったのは12月。どうしたって12月は可愛くなるから。

年少のとき、教室の前に大きな紫陽花が植わっていた。雨に濡れ、青々と輝く葉は幼い目にも美しかった。その景色を、今でもはっきりと思い浮かべることができる。紫陽花の向かいには薄いピンク色の下駄箱があり、その隣には水道があった。手を洗っていると、雨に打たれて色が濃くなった遊具が見えた。

私はその時から、紫陽花に親近感を抱いていた。地味な6月で、唯一美しい紫陽花にどれだけ救われたことか。お昼寝の時間、窓の外でざーざーと音を立てて雨が降っていた。セメントでできたテラスが黒々と濡れていて、その横で力強く雨を受け止める紫陽花を頼もしく思った。地味な6月に生まれた同志として。紫陽花の葉っぱをちぎって、丸めた粘土を包み桜餅を作ったことをなぜだか今でも覚えている。

大学のそばに、玉川上水があった。梅雨の時期は紫陽花が植えられていて、梅雨の時期になると一気に花を咲かす。水色だと思っていると、2つ隣はピンクだったり、その隣は渋い赤だったり、紫陽花は私たちを飽きさせない。この色の移ろいやすさが災いとなって、戦後まで日本では人気がなかったことを最近知った。また、花言葉の一つが「移り気・浮気」であることも。

ロンドンで初めて迎えた誕生日、家の近くでたくさんの紫陽花が花をつけた。いろんな家の庭や軒先に紫陽花が植わっていたのだ。私は途端に心強くなった。紫陽花はいつでも私を見守っていてくれる。色は暖色が多かった。それはヨーロッパの土壌がアルカリ性だからだそうだ。イギリスには1789年に中国から伝わり、その後フランスで育成が始まり、それが後のセイヨウアジサイ(hydrangea)へと発展し、大正時代に日本へ逆輸入されたらしい。


夏の花だと信じきっていた紫陽花が、である。12月のロンドンのフラワーマーケットで売られていたのである。白と薄い水色の美しい紫陽花はそこで神聖さと気品をまとって佇んでいた。家に帰って急いで調べてみたけれど、hydrangeaはここでも夏の花として親しまれているそう。ということは、温室か何かで育てられ季節を問わず販売されるほどここでは
人々に愛されているのか。その疑問はまだ解決していないけれど、私はたちまち嬉しくなった。

かつて、地味な梅雨に生まれた同志として生きてきた紫陽花が私と同じく日本からイギリスへと移住して、今では花束にされるほどの活躍を見せている。ましてや、12月に販売されるなんて!あの、どうしたって可愛くなる12月、のフラワーマーケットで!私はまだあの頃と同じ、垢抜けない梅雨の紫陽花のままだけれどいつかhydrangeaになれたらいいなと思う。場所によって色を変えながらしたたかに、そして力強く。


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